2009年7月 5日 (日)

ひきだし

【心の引き出し】

あるプロカメラマンの方が、こういう風景を撮りたいと心の引き出しに仕舞っておく・・という意味の言葉を書かれていて、なるほど・・と印象に残っていた。

すると、たまたまその数日後、まったく別のプロの方が、いろんな写真を見て、いいとか悪いとかわからなくても、とにかくその画像を心の引き出しに仕舞っておくとよい、という意味のことを書かれているのを発見。

蓄積・・・・心の引き出し、心のレンズに・・・・・・いろんなものを仕舞っておく。

写真に限らず、ある言葉・ある場面・あるしぐさ・・・・・心の引き出しに、とりあえず仕舞っておく。

こういう風景を撮ってみたいなあ・・とか、こういう文を書いてみたいなあ・・とか思って、知らず知らずマネをしていることがある。

マネは所詮マネだから、偽者の匂いプンプン。

それでも、それを少しずつ蓄積していくうちに、だんだん自分の色が出てくるのかもしれない。

写真の先生が、よく、ローマは一日にしてならずですよ・・・と言われた。

独学して力を蓄積してきた先生だから、それを聞いたとき、そうやって汗を流してきたんだろうなあ・・・と思っていたけれど、ああそうなんだなあ・・・・と、先日唐突に、改めて実感し直した。

いくら、いいものを教わっても、いい材料が揃っても、素敵な場所に出会っても、それを調理する腕を磨くのは自分。

山だって、いくらいいアドバイザーと登ったとしても、汗をかいて一歩ずつ頂上へ近づくことができるように、体をつくるのは自分。

そういうこと、頭でわかっているつもりでも、実感として感じるまでの時間が長い。

なかなか心が洗練されないなあ・・・と自分のことを思うけれど、それはそれでしかたないわな。

ムリに頭でわかろうとするところが、私の欠点。

でも、それもわたしだから、しゃあない。

ついに一人暮らしを始める長男。昨日引越しのお手伝いをしながら、車の中で、感動した言葉について、ちょっと声を詰まらせつつ語っていたら・・・淡々と息子が言った。

『僕がその言葉を聞いても、当たり前のことを言ってるように聞こえてきて、母さんがどこに感動しているのか、よくわからんなあ。』

よく、この母をコントロールしてきてくれたと、感謝の気持で送り出すことにしよう。

助手席で、『そんなこと、私が言ったら、大変だぞ。”お父さんは私の心をわかろうとしてくれない!”とかなんとか言って。』とぼやいている夫と一緒に。

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2009年7月 3日 (金)

人の中にいるわたし

人の眼にうつる自分はわからない。

それを気にし始めると、底なし沼に入ったように自滅していく気がする。

でも、気になってしかたないときも、残念ながらある。

でも、人の心に、いちいちノックして、私はどう映っていますかと聞き、それは違っていますと訂正して歩くわけにもいかない。

それは、違っているわけではなくて、その人の心の色に合わせて私を映しているわけだから、私の眼からみると違う色になっているだけ。

大切なことは、その事実を、いさぎよく受け止めることなのだと思う。

そう映っていたのかと認めたら、それはそれとして、『なるほど』と思えるように、丈夫な心をもちたい。

丈夫な心で、人も見つめていきたいと思う。

あなたがこんな悪口を言ってたと、あの人が言っていたわよ・・・・

先日、そんな事を別の人から言われた。

若かった頃は、それは違う、そんなこと言わない・・と、声を大にして叫んだりもしたけれど。

年齢を重ねると、そんなエネルギーがなくなってきた。

そのことを聞いて、わたしをそう評価されたとしたら、それはきっと、評価した人の心に、そうなる火種があったということだから、幾らわたしが、慌てて消しにいったってしかたない。

地球が動くように、人とのつながりも当たり前のように、自然に流れていくもの。

私が選んでいるようで、そうではないのかもしれない。

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2009年7月 2日 (木)

一人で勉強

今、風景写真家の米美知子氏の本、【素敵なタイトルの付け方】を読んでいる。

美しい写真を眺めるだけでも楽しいけれど、お人柄なのか、明るい読みやすい内容で、言葉について、新鮮な喜びを感じる。

アマチュアの人が、どのようにして写真を楽しんでいけるか・・という心配りがあって、肩ひじはらずに勉強できる。

自分の写真をプリントして、人にみてもらって、率直に判断してもらうため、月に一回行われる講評会に、できる限りきちんと参加することに決めた。

今年の残り半分は、欲張らず、これ一つに絞って、真面目に一人で勉強しようと思っている。

5枚提出なので、その5枚のための記録練習帳として、ブログを一個作ってみた。(今はまだ、一人でチマチマとレイアウトを変更中。)

写真を通して知り合った友達がだんだん増えてきたから、一緒に撮影に行くことも、もちろんあるけれど、一人で、自分のテンポで、じっくり進むことも好きだと思う。

背伸びをしたり、目的意識を持とうとしたり、少しハイペースだった日々に、母の病気が加わって、だんだん疲れがたまってきた。

仕事も春の繁忙期だったし、自分で自分のお尻を無理にたたいていたような日々。

だから、一人旅にも出かけた。なんとか、自分らしさを見つけたいという無理も少しあったかもしれない。

結局、無理はダメなんだと、自分でヒリヒリとした痛みを覚えなければ、何かを知ることができない。

気づかないうちに、ギアを思いっきりチェンジしていて、いきなりエンストを起こしてしまったというところ。

結果的に、放り出してしまったことがいろいろあって、そのために、自分のことを無責任だと感じることは、とてもしんどいことだった。

でも、ギブアップすることもあるさ・・と思い直した。そして見えてくるものもある。

本当に、空っぽだなあ・・と思っていた心の中に、先日の写真展で、柔らかな日差しが注がれてきた気がして、俄然元気になってきた。

これは、撮った方の思惑とは、もしかして違う方向なのかもしれないけれど、どんな作品でも、人に観てもらう立場にあるものは、受ける側の心の色によって、そうやって変化していくものなのかもしれない。

また、久々の山歩きで、木の匂いや光や空・・山のなだらかな形や、そういうものが、どんどん明るい気持ちを与えてくれた気がする。

透明感のある明るさ。芯の強さをもった優しい明るさ。

そういうものが、やはり私は好きだと思う。

わかったフリをするのではなく、トクトクと流れてくるように沁み込んできたものを、受け止めていきたい。

平凡な毎日をきちんと過ごして、口は悪いけれど私を大事にしてくれる家族を大切にして、温かな友達を大切にして、その上で、一人の時間を大切に、せっせと勉強していこう。

無理はやめよう

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2009年7月 1日 (水)

変わらない朝

とても行けないだろうとあきらめていた、高岡で行われている菊池哲男先生の写真展。

夫が、行こうか・・と誘ってくれた。そのまま、小谷温泉まで足を延ばして、以前から計画倒れになっていた雨飾山に登ろうという企画も。

話が決まるときは、とんとん拍子。

朝早い新幹線に乗って、特急に乗り換え各駅に乗り換え、JR福岡駅に11時前には到着。

駅から歩いて5分くらいの、ミュゼふくおかカメラ館へ。

安藤忠雄氏建築の建物。表参道ヒルズのように、建物の中に水のような音が反響している。それが、幻想的で、星と山と月の写真のイメージには合う。ただ、音響が良すぎて、話声が響くのが気になって、いつも以上にひそひそ声に。

全紙の4倍くらいもある作品も、会場が広いので、そんなに大きく感じない。

ひとつひとつ、添えられた言葉を読みながら進んでいく。ひとつの部屋に入って、ムンクの月柱についてぼんやり考えていたら、後ろから男性の声で、『荷物重そうだから、受付に預かってもらっては?』と。

登山準備のリュックをそのまま背中に背負っていたもので。

『いや、大丈夫ですよ・・・』と言うつもりで振り返ったら、なんと、菊池先生ご本人。

この日、いらしているとは思わなかったので、びっくりした。

夫ともども、山のことなどちょっとお話。先生は気さくな方で、とても厳しい仕事をされているけれど、お話をしているときは、なんとなくほっとする。

九十点展示されているということだったけれど、場所が広いせいなのか、そんなにたくさんあるとは思えない。ひとつずつが新鮮。

部屋の中、廊下、なだらか階段横の壁など、さまざまな場所に作品が静かにたたずんでいるというイメージ。

輪廻転生についての言葉が書いてあったけれど、夜の山に佇んで、それを感じたくなってくる。

途中、テーマである、山の星月夜とは、少しイメージの違う作品が目に入った。白馬村に朝日が降り注いでいる写真。

そこに添えられている言葉が思いがけなくて、涙腺がゆるみそうになった。

『・・・写真は劇的な風景をねらうものだが、私の願いはいつまでも変わらぬ穏やかな朝が来ることだ。』  (菊池哲男写真展 【山の星月夜】より)

山だけでなく、その裾野に広がる村への思いも伝わってくる気がした。

人と山との共存。そのことについて書かれていた文章を思い出した。

写真に写っている、神々しいような夜の山、大きな空に浮かび上がる星や月を眺めていたら、いろんなことが、ほんの些細なことに思えてくる。

なんだか、言葉にするのが難しいけれど、写真を見終わって、大らかで温かなものに満たされているような気持ちになった。

プリントの素晴らしさなど、技術的なことはわからないけれど、まるで、好きな音楽、本、絵画に出会えたときのような、豊かな実りを味わう気分。

遠い場所で行われている写真展だけれど、ここへ来るまで、その距離感を、あまり感じなかった。

それは、今の私の気持ちが、この世界を感じたいと求めていたからなのかもしれない。

今このとき、こうやって、ここに来て、写真と出会えた幸運に、感謝したいとしみじみ思った。

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2009年6月27日 (土)

選ぶのは自分

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この写真を、偶然、二人のプロの先生に講評して頂く機会があり、一方は自分でお店プリントをしたので、芝生に座る二人と芝生が、とてもハイキーな仕上がりになって、もう一方は、勉強に行った先でのプリントだったので、クリアな仕上がりに。

前者の先生は、ハイキーな仕上がりになったお陰で、二人がリアルではなく、いい雰囲気になったと言ってくださり、後者の先生は、露出がちょうどいい感じに仕上がったとの講評を頂きました。

褒められたと言いたいのではなく、この二つの意見は、そのまま本当にそうなのだろう・・と思ったということを言いたくて。

何が正しいか、何を選択するか、誰の考えに共鳴するか、それはすべて私が決めること。

実は、HPの準備は、去年からずっと構想を練ってきていたわけで、今更、このブログを休んでまでするようなことは何もないのです。

ということより、ここのところ、文章を書けなくなっているのです。

もちろん、仕事での文章は書くし、ごく親しい人とのやり取りはしていたけれど。

理由はわかりません。

今日から先、また、書けるかどうかわからないけれど、今日はこうして書きたいと思っているし、だから、アップしようと思います。

そんな、大層なことか・・・そう言われるのはわかっています。あなたの文章が、そんな大層なものかと。

それは、わかっているけれど、一介の51歳の、ふつうの主婦である私にとって、この場は大切なものだったし、ここに遊びにきてくれる人は、コメントのやり取りの有無は関係なく、とても大切な人たちだったから、ブログを開いても、書けなくなってしまったこと、書いてもアップできなくなってしまったことは、とても大きなことなのです。

リアルである私が、今、ここで真面目に、こうして書いていることを、どう受け止められるかはわからないし、重すぎる・・と、拒否反応を示されるかもしれないけれど。

もちろん、悩み苦しんでいるというわけではないので、心配しないで下さいね。

入門したばかりの写真の勉強を、これからも私なりの歩幅で、大真面目に続けていくので、その修行過程を共有してもらう場を、今一生懸命模索しています。

何を自分がいちばん好ましいと思っているのか・・そのときどきで、自分の心に聞きながら修行していきたいものです。

もしかすると、

無口になった、新生ぴとこ・・が、現れるかもしれません。

いや・・喋らずにはいられんだろう・・と、北寄りの風に乗って聞こえてきたような・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・気のせいですね。

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2009年6月18日 (木)

新生

勉強不足がたたって、いろんなところに穴が空いてきたところで。

唐突ですが、しばらく、こちらの【山笑う】は休止します。

できれば、生まれ変わったHPもしくはブログを作りたいと思っています。その準備でもあります。準備に、どれだけかかることやら。

その節は、ご連絡しますので、どうぞよろしくお願いします。

旅に出るわけではないので、皆さんのところへは、能天気に遊びに行きますね^^v

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英彦山

写真集【英彦山の四季】の中に収められている写真の数々を見ていると、修験の山は、ちょっと似た気配があると感じる。

高尾山は、都会に近い、かなりな人数が訪れるにぎやかな山だけれど、一歩入っただけで、独特の気配がある。

霊気のようなものが漂っている。

英彦山には、数回登ったことがあるけれど、この霊気を当時感じていたかどうか、記憶にない。でも、九州の山の中で、唯一、私が独りで登ったことがある山だから、大切な山のひとつだと言える。

杉田久女は、この英彦山に通い続けて、代表作とも言える山ほととぎすの句を作った。

なにか、そこには、人が惹きつけられずにはいられないものがあるのだろう。

若くして逝去された方の写真集だから感じるのではなく、そういうことを聞かなくても、この写真集の一途な気持ちは、伝わってきたと思う。

この写真の数々を、とにかく、じっと見つめていたいと思う。

写真家は、研ぎ澄まされた、それぞれの独特の感覚で、ある気配を感じ取っているのだろう。

その丹念な仕事に、できるだけたくさん接してみたい。

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2009年6月17日 (水)

伝えたい気持ち

人は、何かを伝えたくて撮るのか、撮らずにはいられなくて撮るのか。

そのことを鑑賞者としていろいろ考えたりしたけれど、理屈ではないのかな。

菊池哲男氏が、現在、高岡で特別展をされている。

この冒頭の言葉が私は好きで、この言葉に出会って、山と人との接点を、改めて感じさせてもらえた。

今回、ご縁があって手にした、Wの視点の和佐野喜代隆氏の写真集【英彦山の四季 いのちかがやいて】の冒頭に、和佐野氏が残された文章が載っている。

輪廻の世界を表現したいという、ご本人の言葉が、お会いしたこともない、偶然その写真に出会った私に響いてくるのも、一つの縁なのだと思う。

その写真を眺めて、簡単に素晴らしいという言葉は使いたくなくて、ゆっくりと味わい続けていきたいと思う。

そして、形にして遺そうとされた方たちの気持ちもゆっくりと汲み取っていきたい。

まっすぐに響いてくるものに正直であること。素朴に感じる気持ちに敏感であること。

そのために、気持ちがどんよりと濁らないようでいたい。

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2009年6月15日 (月)

ある歌

ずっと気になっていた短歌があった。

頭の中に居座っていて、でも誰の歌かわからない。

人形作家の鹿児島寿蔵氏の歌かなと思い、いろいろ調べてみたけれど不明だった。

昨日の夜、ちょっと昔の書類を調べる必要があって、ダンボール箱をひっくり返していたら、古い日記が出てきた。

1センチほどの厚みのノート。日記は昭和55年12月16日から昭和57年12月25日。

結婚前から始まっていて、途中何ヶ月も書いていない空白期間もある。あまり覚えていないけれど、多分、気が向いたとき、書いていたような気がする。

この間に結婚して、出産して・・・・バタバタしていた頃。

夫も非常に仕事が忙しい頃で、初めての赤ちゃん一人を相手に、慣れないことだらけの中で奮闘していたのだと思う。

日記の内容は今のブログとたいして変わらない。

・・・成長しとらん。

でも、いつのときでも、本や絵や、朝陽や夕陽が私を救ってくれていたんだなあ・・と、若かった私を懐かしく思い出す。

この日記の中に、探していた歌が載っていた。どういう経緯でこの歌を知ったか、どう感じたかなどは書いていない。ただ、歌と作者の名前だけ。

小林和作という画家の歌だった。

正しい歌は、以下のようなもの。

行き行きて 行きて尽きせぬ絵の道を 今日は休みて 花を見るかな  

                                 <小林和作>

この歌のような生活を、羨ましく思っていたのかもしれない。

こうありたいと思っていたのかもしれない。だから、この歌がずっと頭にこびりついていたのだろう。

私の記憶では、最後が『花に親しむ』になっていた。花を見るかな・・の方がやはり自然。

庭の花か、花瓶の花か、静かに花を眺めている人の姿が浮かんでくる。

夫から・・・『出しっぱなしのダンボール、片付けなさい。』・・・と注意されるまで、夢中で若き母だった自分の、当時の思いを辿っていた。

今の私も、この小林和作さんのような心持ちを、大切なものだと思う。

肝心の探し物は見つからないまま。ファイル管理能力低し。

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2009年6月14日 (日)

本屋さん

私は昔から本屋さんが好き。

高校生の頃、ポケットに100円しかないようなとき、その金額で買える本はないかとゲーム感覚で探したこともある。

たしか星ひとつが70円の岩波新書があったような。(どれほど遠い昔なんでしょうか。)

勝間さんの本の中でも、本屋さん巡りについての効用(楽しさ)が語られていた。

情報収集という意味で、思考力の拡大という意味で彼女は語っていたけれど、私はイヤなこと、しんどいことがあるとき、本屋さんをブラブラしていると、すっとすることもある。

これは、図書館では得られない、独特の感覚。

今回、門司港という九州の端っこの町で、本屋さんを巡っていて、面白い発見。

旬だと思っていた勝間和代さんの本が見当たらない。

この町が遅れてる・・とか、そういう問題ではなく、植物が土壌にあわなければ花を開かないのと同じかしらんと思った。そのかわり、この地域の歴史の本や、九州の山の本がたくさんあった。

昨日、私の住む町の本屋さんへ。

所謂平積みの本の中に、幸福感について書かれている本が多いような気がした。

それは、私がそれを求めているから、つつつっと引き寄せられるのかもしれないけれど。

がんばらない・・の鎌田實さんの【へこたれない】という言葉が目に入ってきた。清川妙さんの新しい本もある。

勝間さんの本も茂木さんの本も、テーマがはっきりしている。

そのどれもを、ちょっと立ち読みして、立ち読みしただけでも、気持ちがちょっとだけすっとした。

ちょうどこの日、新聞で、障害のある人高齢者の人たちとのツアーを企画して実行しているという鎌田さんの記事を読んで、ずっと引っかかっていた部分にも風が吹いてきたような気がしていた。

行けるか行けないかではなく、行ける可能性があるということが元気にもつながってくる。

がんばらないけどへこたれない・・・・

伸びていく蔓の行き先を決めるのは自分しかいないけど、それを誘導してくれる人たちはたくさんいる。

鎌田さんのブログ 日々更新されている。

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