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2019年6月27日 (木)

ものがたり

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『更科日記』についての番組を先日観た。

更級日記の作者が少女時代、肉親や身近な人の死に心を閉ざしていたとき、心配した親族に『源氏物語』を贈られて、一日中読みふけったという話に、いつの時代も、同じなのだなと感じた。

ものがたりの力。

 

山道を歩くところどころで、咲く花や景色に心が洗われるように、ふだんの暮らしを歩くときにも、別の世界の存在に救われる。

子どもの頃、父の仕事の関係で転校が多くて、2年、はやいときは1年で引っ越しした。今でも、どこが定住の地なのかわからないけれど、開けば広がる世界に、救われている。

 

6月は蛍の撮影に、夢中。

ヒメホタルに始まり、ゲンジボタル、ヘイケボタル。

撮るのももちろん楽しいけれど、ぼわんぼわんと光る様子を眺めていると、もう一つの世界を感じる。

 

道の向こうに広がる現世であって現世でないような世界。

 

大切にしていきたい世界。

 

 

 

 

 

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2019年6月23日 (日)

期待し過ぎず期待する

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子どもの頃から、変わらずに好きなことは、物語を読むこと。

写真を撮ることを続けている理由も、ここにある。

上手下手の話は、ちょっと置いといて。

 

ファインダーを覗いているときが一番楽しい。ファインダーの向こうの四角い世界をどんな風に描こうか・・私の物語。

 

私の物語が人に伝わるのではないか・・と期待してみては全然伝わらなくてがっかりする。

 

日常生活を一つ一つこなしながら、あるときは日常を忘れて、どんな物語をつくろうかと、別世界に遊ぶ。

 

遠くへ行ってみることもあれば、自分の庭にうずくまって、ああだこうだと考えている。

 

欲張りすぎず、幸せな物語を、一篇ずつ増やしたい。

 

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2019年6月22日 (土)

一日ごとに

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今日より明日成長するものがあると思えたら嬉しい。

そんなことを口に出して言うと、ほとんどの場合、浮いてしまう。

だから、自分の小さな窓であるブログに書いてみて、その気持ちを心に刻んでみる。

 

若くなくても、子供がいても、孫がいても、明日成長していく私を期待していたい。

日々の暮らしのあれやこれやが、すべて糧となっていくと信じたい。

 

口に出しては照れくさくて、到底言えないのだけれど。

 

 

 

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2019年6月21日 (金)

しあわせ度

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ウォーキング中、美しいアジサイが咲いていて爽やかな風が吹き渡ってきた。

こういうときの、『うふっ』という感覚。

 

この小さなかけらが連なっていくことが幸福感なのかなと思うけれど、そうは問屋がおろさない。

 

べしゃんとつぶされるようなことが、必ず起こる。

 

でも、それが当たり前なのでしょうね。大きな幸せ小さな幸せ。大きな悲しみ小さな悲しみ。などなどが、押し寄せてくる毎日。

 

だから、どうだっていうわけではないけれど、今日はこんななのさ~と、軽やかに観察している私がいて、その私を育てていきたいなと思う。

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2019年6月 4日 (火)

人間観察

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昨日、昔の番組で樹木希林がインドを訪ねる旅を放映していた。

亡くなってから、その言葉を記した本がベストセラーになっているけれど、このインド訪問の番組にも心に残る言葉がちりばめられていた。二番目のお孫さんが生まれそうだと番組内で言っていたから、今から20年くらい前の番組なのか。だとすると、番組の希林さんの年齢は今の私くらい。

その中で、人間観察、自分という人間の観察という話が出てきた。

<自分という人間を観察> 新鮮な響き。

『自分ってこんな人』と明確に言う人がまわりにいると、私ってどんな人なのだろうと混乱してしまう。

こうありたい私と、素の私は、ちょっと違うから混乱するのでしょうね。

 

例を挙げれば、几帳面な静かな生活をする私にあこがれるけれど、実際の私はがさつなめんどくさがり屋。

 

でも、こうありたい私も、素の私も、そんなこと、どちらでもよいのかな。

 

写真を作品として撮りたい・・というと大げさだけど、作品展に参加したりし始めて、早いもので10年近く経った。

写真との向き合いかたについて、どうありたいかと悩むことも多い。

 

コンテストに挑戦することを目標にしている人。
作品展を目標としている人。
写真専門の月刊誌での年度賞を目標としている人。

 

さまざまな人と出会ってきたけれど、出会った人の数は、この世界のごくごく一部。

ごくごく一部なのに、勝手に渦に巻き込まれて、私は❓私は❓の疑問符だらけ。

 

中途半端なわたし・・というところが、結局、悩みのもとであり、ほかならぬ<わたし>。

 

中途半端なわたしの根っこが、このブログ?

自分観察を、ゆっくり再開。

 

 

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2019年6月 2日 (日)

久しぶりの独り言

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久しぶりに日記。

最近、<孤独>をテーマとした本を、いろいろ読んでいる。

作家が書いたもの、学者が書いたもの。

「年齢を重ねるほど、孤独と仲良く楽しめるようになりたい」というような内容が多くて、ふむふむと思う。

ただ、その考え方は目新しいものではなくて、自分の周りを見回してみると、結構みなさん、いい感じでそれを楽しんでいる人が多くて、今更、改めて、本で確認することもないとも思う。

 

でも、性懲りもなく読むのは、私は、まだ、その境地に到達できない、グラグラした足場に立っているから。

 

一人の時間も、人との時間も、上手にこなせるように、なかなかなれない。

 

写真を撮るという趣味は、一人の楽しさを満喫できるし、それを見てくれる人とのつながり、人の写真を見る楽しみに広がっていく。

 

それなのに、ときどき、つまらない拘りで自分を狭くしてしまう。

 

堂々巡りは相変わらず。

 

ブログを中断していた間に、目の覚めるような成長を遂げているわけでもないけれど、たまには、この心の堂々巡りやを読んだ本について書き残して、頭の整理につなげたい。

 

☆ミニ感想☆

坂東眞理子の『70歳のたしなみ』:実践的心の自律の学びになったけど、いささか私には荷が重い。

田村セツ子の『孤独を楽しむ』:年齢を重ねたからこそ楽しめる一人の時間・・わたし風にアレンジしていきたい。

 

 

 

 

 

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