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2019年12月26日 (木)

海のそば

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どちらかと言うと、山の景色が好きだと思っていたけれど、海のそばに暮らすようになって6年、すっかり海峡の景色になじんでしまった。

山陰沿いの荒々しいダイナミックな景色も好きだけれど、海峡の暮らしが密着した景色と、外の海へとつながっていく浪漫の混在も気に入っている。

 

小さな漁船、大きなタンカー、フェリー。

いろんな生活が目の前を通り過ぎていく。

 

この土地で、子育てのはじめの約6年を過ごした。あの頃は夢中で、かたくななところもある未熟な母だったから、もう一度子育てをするならば、もっとノビノビとした子育てができるのではないかと思うこともある。

 

でも、今、<いやいや期>に入った3歳児の孫を相手に過ごす毎日、それも母ではない第三者だというのに、大らかな心なんてない時もある。3歳児相手に本気で腹を立てたりしている。

 

ただ、違うのは、『こんなことでよいのだろうか』『一人の時間が欲しい』という、焦りみたいな気持ちはないこと。

 

早朝、一人で起きて、ストレッチをしながら撮りためたお気に入りのテレビを観る、ささやかな時間だけでも、十分に自由を満喫できる。

 

たぶん、いつかはまた、二人の静かな生活に戻ることがわかっているからだろうけれど、それだけでもない。

 

時の流れに身を任せ~♪

 

の歌詞を、実感として感じられる年齢になったということなのだろう。焦ってみてもしかたない。

年を取るというのは、寂しいこともあるけれど、鈍感力を磨いて平和な心に近づけるという面白さもある。

 

なんて、仙人みたいなことを言っているけれど、先日、孫の傑作写真を撮ろうという野心から、一眼レフを取り出して海岸で遊ばせていたら、孫から一言、きびしく言われた。『もう、あたしの写真、撮らないで!』

 

 

冬の海
流れ静かに
留まらず

 

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2019年12月23日 (月)

雲の世界

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空や雲が好きで、ついつい、写真を撮るときも、空や雲の比率が大きくなってしまう。

自然が作り出す形は、一瞬一瞬が美しくて、おおらかな気持ちになる。

 

朝の雲、真昼の雲、夕べの雲。そして、夜の雲。

 

これからも、雲をあれこれ写して、一人でムフフと楽しみたい。

 

「空の部分が多すぎるよ。」というアドバイスを毎回うけつつ、心の中で、「だって、好きなんだもの。」とつぶやいて。

 

 

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2019年12月17日 (火)

探すこと

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写真とは何だろう。

相変わらず、そこに行きつく。

写真に限らないことだけれど、プロではない人が携わる<ものづくり>は、自分次第。

 

好きな光景を写し取りたい。人に伝えたい。コンテストで入賞したい。などなどなどなど。

 

理屈をつければ、いろんな写真を撮る理由もついてくる。

日常生活をこなすだけでも、十分に時間がかかる日々。趣味はお愉しみだったはずなのに、だんだん、大層な理由を作って日常生活を削り始める。

今、出産を控えた長女と孫が里帰り中。日常に、どっぷりと浸っている。

 

 

 

ばったり写真友達に会って、「今年は秋を撮りそこねたね。」と言われたのだけれど、それをそれほど残念にも思わわない私は、写真への情熱が足りないのかな・・などと思ってみたり。

 

でも、やっぱり違う。

 

絶景もすてき。そこに立てる幸せもある。

 

でも、私にとって写真を撮ることは、何かを探すということに直結していて、どこに私がいても、同じなのだと思う。

 

何かを探しつづけたいという抽象的な気持ち。それは、ただの逃げなのではないか?なんて思ったりもしたけれど、逃げと人から言われるならばそうなのだろう。

 

でも、私がそうであればそうなんだ。

 

こうしたいと思ったら絶対に曲げずに、地団太を踏む孫を見ていて、自分のDNAなのか、それとも、これが人としての正直な欲求なのかと、見ていておもしろい。

 

日常を淡々と生きて、あるとき、いつでも、<どこでもドア>を開けて歩いていく。

 

 

 

 

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2019年12月14日 (土)

年の終わりに

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長いお付き合いのネット友達がブログを閉じると聞き、ダラダラとネット空間にブログの部屋を置きっぱなしにしていた自分を顧みた。

ブログをはじめて何年になるのかな。

(追記:この日記を書いたあと、振り返ってみたらブログ開設から15年。ピックアップして10年前の日記を読んでみたら、東京の写真クラブでの自分の悩みや思いが、今ここ下関のクラブでの悩みや思いと、たいして違っていないことに笑ってしまった。まったく私ってやつは。)

最初は、ほかの人のブログを読むことから始まった。こわごわと、初めてコメントをしてみた日、コメントするなら名刺代わりの自分の部屋を持ちたいと思った日、そして初めて記事を書いてupしたときのドキドキ感。

 

写真と出会った頃、PCに長時間向き合って、どの画像を選ぼうかと迷う楽しさもあった。

 

どこかで、少しずつ変化してきた。変化は悪いことばかりではなくて、変化した先にまた新しい道が開けていく。

 

子どもたちが独立して、孫もできて、子育てという意味でも、世間の<現役>からは退いてきたなあと感じる場面も多々ある。

 

現役からは退いたから、今度は飄々と、自分育てに向かっていくのでしょう。

 

かつて、ブログでせっせと書いて考えてきた心を耕すことの意味。丁寧に暮らすことの意味。

 

意味も答えも、たぶんわからないけれど、やっぱりそれを考え続けることは、変わらないのだろうと思う。

 

明日は何があるかわからないこの頃。

 

私を鼓舞してくれる、私が書き散らしたネットの言葉。

ネット上のごみとして漂流しないように、きちんと責任をもって処分しておかなくてはいけないと、年の終わりに感じ入っている。

 

感じ入りつつ、久しぶりに、ズルズルと書いてしまって・・・なんかすっきりしている私もいる。

 

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