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2020年1月28日 (火)

たび心

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海外のテレビ番組が好きでよく観る。行ってみたいなあというのが、いつもの感想。

ときどき、ある先輩の、<海外の紀行番組を観るのが好きよ。行けなくても、気持ちが晴れ晴れとしてくるのよ。>という言葉を思いだす。

その先輩は、お母さまの介護で、海外どころか、外出もなかなかままならない。

深く知り合っているわけではないので、その方の表面しかしらないけれど、会うたびに、なにか清々しい心持ちになる。

 

経験値の豊富な人も沢山いるけれど、経験値だけがその人を作っているのではないのだなと感じることも様々。

まわりの人の言葉を遮って、自分の経験談を語る人を見ると、経験っていったい何かなあと思うこともある。

 

 

いろんなところへ行って、見てみたい。でも、行けなくなったとしても、自分の庭での半日も味わえる心でいたい。

 

 

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2020年1月22日 (水)

答えは探さない

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3歳の孫の世界に付き合っていて、そうだったなと子育て時代を思い返す。

教育に正解はないし、人生にも正解はない。

 

昨日、保育園でのある光景を思い出したのか、昨日の夕方、庭で拾った小さな枝三本を使って、『きれいな音を作りましょう~♪』と掛け声をかけるように、私に何度も求めてきた。

 

タクトを振るように、枝一本を斜め上にかざして、私が『きれいな音を作りましょう』と言うと、孫が日本の枝で、部屋の中の箱などをそっとたたいている。

何回目かの遊びのとき、レースのカーテンをそっとそっとたたいているのを見て、小さな子には音が聞こえているのかなと思った。

 

そこに天賦の才を見たとか、そういうことではないのだけれど、もちろん。

 

こういう心をいつまでも大切にするにはどうしたらよいのだろうと思ったり、そういう心だけでは生きていけない大人の日々について、取り越し苦労をしてみたりする。

 

正解は求めないと言いながら、あれやこれやと正解への道すじを考えてしまう。

 

もちろん、親ではないので、無責任な発想だけれど。

 

考えずに、一瞬一瞬を感じていよう。

 

遠くから見守りながら、祈るだけ。

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2020年1月18日 (土)

光と影

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BSプレミアムで、写真家 森山大道を取材した番組を観た。

ここのところ、一人の時間がほとんどなくて、早朝に起きだして観ることにした。

 

ずんと心に残る番組だった。

 

今、日常にどっぷりとつかっている。洗濯・食事・子供の世話・・・でも、遠い若いころとは違って、期限付きの日常。

期限付きであっても、日常の中にいると、<作品としての写真を撮る>ことが、ものすごく遠くに感じられてきて、これが正解なのかも、作品としての写真だなんて、自分の気取りでしかないのかもと思ったり。

 

でも、森山大道の写真や話を聞いていて、日常と写真は密着していることを思い出した。

 

日常と言っても、愛ある生活だけにとどまらず。

 

番組の中、森山氏の口から、<愛おしさと禍々しさ>があっての写真 という言葉が出てきた。

 

自分の心の中にもある、光と影。

 

ごくごく平凡な自分で、ごくごく平凡な生活なのだけれど、誰でもない私の光と影。

 

人の言葉に、右往左往する自分が、還暦を過ぎても残っている。

そんな小さな自分も、自分であって、変わっていない私はずっと私なのだなと思った。

 

心がガサガサしても、好きなものは好きなのだということ、忘れないでいたい。

 

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2020年1月16日 (木)

脳細胞

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娘の里帰り出産。

0歳児と3歳児との暮らしも半月を過ぎてきた。

 

通常の三倍くらいに感じる炊事洗濯の日々。肉体は疲れ果てているのだけれど、発見も多くて、面白い。

 

出来立ての脳細胞から三年経って、こうなってくるのだねと、祖母の無責任さから観察している。

 

3歳児、別名、あくまの3歳児というのだそう。原始的だった脳細胞がフル活用し始めるような感じ。

 

オバババカから、天才児か!と思うような言葉を発していると思うときもあるけれど、

疲れたり眠かったりすると、脳細胞が沸騰しているような、わがまま全開みたいな、意味不明の辻褄もなにもない言葉が出てくる。

 

あれまあ、と思うような、意図が見え見えの、ズルい言葉を発することもある。

 

そして、それらを観察するに、しみじみと、

 

こちらの脳細胞は、あきらかに日々成長ではなく、枯渇してきているのだと実感する。枯渇してきた脳細胞は、いつしか、見栄とか気概とかそういうことを維持する力がなくなってきて、本能丸出しになってくるのかなあと思う。

 

本能丸出しになったとき、果たして、自分はどうなってしまうのだろうと不安にもなるけれど、そうなったときには、それを自覚する能力もないのだろうから、自然に任せていくだけなのでしょうね。

 

ケセラセラ

 

 

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